◎生糸(きいと・RAW SILK)
おとといのdiaryで、横浜開港150年記念の川上澄生展情報を紹介しましたが、安政6年(1859)の横浜開港と日本の養蚕・製糸産業には深い関係があるのです。
開港当時、ヨーロッパでは、蚕の微粒子病が大流行し大きな打撃を与えました。また、最大の生糸輸出国だった中国(清)は内乱のため輸出ができず、日本の蚕種(さんしゅ=蚕のタマゴ。直径1ミリほどで、菜種に似ていることから、種の名がついている)と生糸への需要が高まったのです。
蚕種・生糸は主要輸出品となり、外貨をたくさん稼ぎ日本の成長に大きく貢献しました。昭和5年(1930)には繭生産量399千t、生糸輸出量581千俵(俵は、私「タワラ」って呼んでましたが、正しくは「ヒョウ」でした・恥)を誇り史上最大の生産量を上げ、絶頂期を迎えますが、以降はレーヨンや人絹、海外からの安い生糸に押され、今や壊滅の危機を迎えています。
で、昨日のつづき・・・
栃木県立博物館で開催中の企画展、民俗部門は平成15年3月に閉鎖となった栃木県農業試験場南河内分譲から移管された資料の一部を初公開しています。
平成15年といえば、私事ですが機織り伝修生として小山市にある栃木県紬織物指導所(現・紬織物技術支援センター)でのカリキュラムを修了し、卒業した年です。同じ年に、蚕糸業の普及啓蒙・研究開発・技術者の養成・繭質改善で県の養蚕に寄与してきた農業試験場が、その役目を終えるという時代背景だったことを、私は知りませんでした。
展示資料の中に、袋真綿と並んで生糸の束があります。複数の綛(かせ)をひとくくりにした「括(かつ)」と呼ばれる姿をしています。結城紬を織ったり下ごしらえを勉強しているので、袋真綿や手つむぎ糸には馴染みがありますが、考えてみると生糸については知らないことがたくさんあります。この「括」にしてもそうでした。
そもそものギモン・・・生糸って何だろう?
と、いうわけで、現在高崎市の「
日本絹の里」で開催中の第46回特別展「輝くシルク・群馬の製糸~世界遺産をめざす富岡製糸工場を中心に」の関連行事で、生糸をつくる糸挽き無料体験をやっているというので、さっそく行ってみました。
行きは、まるで「洗車兼ドライブ」。雨がジャッチャカ降る中、高崎方面へ。足利経由で国道50号に出る頃には空が明るくなり天気が回復しました。
まっさきに向かったのは、上州座繰り機による糸挽き体験。体験は各日20名先着順という案内があったので、早めに申し込みました。
鍋に張ったお湯の中に、あらかじめ煮て糸をほぐしやすくした繭が浮かんでいました。ここから、すでに30粒程度の糸が小枠に巻き取ってあるので、座繰り機のハンドルを左手で回せば糸はスルスルと巻き取られてゆきます。このように、乾燥・煮繭した繭数粒の糸を引き出し、小枠に巻き取る作業を「繰糸(そうし)」と呼び、「繰糸」によってつくられる糸を生糸と呼びます。
繭の糸が無くなったり、もっと糸の本数を増やしたい時には、鍋のところに見える「みご箒(ほうき)、もしくは索緒箒」という稲穂でできた小さな箒状の道具で、繭糸の繊維を探します、この作業を「索緒」といいます。
みご箒で、繭をたたくようにしながら湯を回転させるようにすると、稲穂の繊維に繭の繊維がひっかかります、そのひっかかった繊維を、鍋から引き出されている他の糸に重ねると、新しく引き出された糸は、ほかの糸といっしょに挽かれてゆきます。このように、糸をつぎ足すことを(接緒・せっちょ)といいます。
「みご」というと、結城紬の人は「おっ!?」と思うのではないでしょうか?かしあげ前の織り出しの時、「みごわら」と呼ばれる稲穂の芯を袋真綿でくるんだものを入れてから織り始めます。これは、「みごわら」も「袋真綿」も素材が指定されているようで、いわばそれが結城紬の登録商標の一部のようになっています。ただ、「みごわら」で調べてもなかなか見つからなくて、「わらみご 【藁 】; 稲穂の芯 (しん) 。わらしべ。」あるいは「わらしべを別名みごと言う」ってな感じでネット辞書にはあります。
盛岡タイムスでは、こんなふうに書かれています。
http://www.morioka-times.com/news/2006/0612/27/06122705.htm
「〇脱穀したイネを乾燥したものが「わら」です。「わら」の中で、穂のついている茎に当たるものは「みご」「みごっこ」(「実の後」の意でしょうか)と呼ばれ、固いのでこれでキセルの掃除をするのに使いました。また20、30センチ位の小さな「はぎ(ほうき)」を作りました。「みご」は共通語では「わらしべ」(わらの芯(しん)の意)と言います。」
糸挽き作業ですっかりコーフンしていたので、みご箒の写真を撮り忘れてしまいましたが、栃木県立博物館には展示されていますので、そちらもご覧いただければと思います(笑)。
・・・話を生糸に戻します。
引きそろえただけの糸は、次に待ち受ける「ケンネル機構」と呼ばれる円形の撚り掛け装置を1回転することで、1本の糸になる程度に軽く撚りがかかります。
その糸は、振り分け棒という左右に触れる棒によって、小枠の幅に均等に巻き取られるのです。良くできた機械ですね。ただし、常に繭の状態を見たり、糸口を加えたりしなくてはならないので、一定の太さの糸を挽くのは簡単なことではなさそうだ、と思いました。
座繰り体験コーナーの人に、結城紬を織る話をしたところ、真綿から糸をつむぐところを見たいというので、展示してあったつくしを使ってちょっとだけ実演しました。でも、かかっていたのが角真綿がずたずたになっていたもので、きびがらでなく発砲スチロールの棒だったので、真綿がひっかかりにくく、実演の成果はいまいち・・・袋真綿ときびがらをお届けして、セッティングし直してあげたいです(笑)。
上州座繰り機実演・説明のサイト
小枠に巻き取った生糸を、今回は周囲約1メートルの大枠に巻き取る「揚返(あげかえし)」のようすです。私も、このつづきの揚返機(あげかえしき)の操作を体験させてもらい、小枠の糸をすっかり巻き取りました。この作業中に濡れていた糸は乾いてしまいます。巻き取られた糸は綛(かせ)と呼ばれ、その後の作業のために扱いやすい形をしています。
自分で挽いた生糸は、揚返(あげかえし)をして持ち帰ることができます。生糸は周囲にセリシンというたんぱく質がついているので、シャリシャリとした感触がありますが、精錬という作業でセリシンやその他の不純物を落とすと、なめらかでやわらかな絹の繊維になります。
上州座繰り機による糸挽き体験は、展示期間 平成21年4月18日(土)~ 5月18日(月)の
土日祝日10:30~12:00 14:00~15:30分に実施しています。体験は無料ですが、観覧料は必要です。
こんな感じで、生糸を挽くことで生糸を身近に感じることができました。展示は、この他にも興味深いことがたくさんありました。そのうちのひとつは、
世界遺産登録を目指している官製富岡製糸場が、操業停止後もなお当時の姿で現存しているのは、最後の所有者であった日本最大の製糸会社であった片倉製糸紡績株式(かたくらせいしぼうせきかぶしき)会社の社長の哲学にあることを知りました。そこには片倉家の出身地である長野県諏訪群の土地柄も関わりがあるとのこと。ボランティア解説員さんの熱心で親切な対応で、よりいっそう展示を楽しむことができました。フロア面積は決して広くはありませんが、内容の濃い場所でした。滞在時間4時間(笑)。
メモ~生糸の単位
・綛(かせ) 約208グラム
・括(かつ) 24綛(かせ)を1つに結束したもの=5kg
・俵(ひょう)12括をまとめたもの=60kg
※生糸の輸入実績データを見ると、確かに取引単位は俵(ひょう)になっています。
◎生糸・展示解説(カッコ内に一部補足説明を入れています)
「出荷された繭は製糸工場に集められ、(蛹がかえらないよう熱風で)乾燥・煮繭(しゃけん=糸がほぐれやすいように繭を煮ること)したのち糸繰りの機械にかけ生糸をつくります。平均的な生糸の太さは27デニール(1デニールは9000メートルで1g)約9粒の繭を1本の生糸にひきそろえます。現在使われている糸繰り機は自動繰糸機といわれ繭を加え糸の太さを調整しながら自動的に生糸を繰ります。
ほかにも、いろいろ、いろいろな発見がありました・・・