今朝方、長い長い地震がありました。千葉や茨城では震度5もあったそうです。
先日、新聞の書評で見かけた「桂米朝集成・第4巻」、おなじ週のうちに、新品同様を半分ほどのお値段で入手することができました(今年出たものなんですがねえ・・・)。さて、函から出してビックリ、表紙の装丁は、はんなりとした鴇色(ときいろ)の絹なんです。サラサラと手触りも良く、読む前からスリスリさすってうっとり(笑)。さすが噺家さんのご本はお洒落だなあ、と思いました。
さて、桂米朝といえば「貧乏花見」のCD解説書を読んでおりますと、この上方の噺が大正期に東京に移されて、昨日聞いた立川談志の「長屋の花見」という題で、たちまち人気のある演目になったのだそうです。ということは、私は、ちょうど「中国の水餃子」と、それが日本に渡って「焼き餃子」としてたちまち人気の惣菜となった、その両方を食べたようなものでしょうか(笑)。このように、上方と東京の噺が、行き来して姿形を変えて人気の演目となったというケースは、たくさんあるようです。
今日は何とはなしにキモノを着てみようと思い立ち、普段着モードで、シボの入った濃い紫地に白の絣模様がたくさん入った(小紋柄?)お召しに、ミンサーの反幅帯を結びました。お召しは、あんまり好きじゃないと思っていましたが、着てみると布がざらっと落ち着いて、思いのほか楽に着られます。なるたけ上半身をゆったり着付けることを意識してみました。今日はけっこう着心地いいです。ミンサーの帯は、しゃっきりしていて濃い紫にもしっくり合い、重宝しています。
ところが、ソファに腰かけたときに、広告でも踏んでいるかのような音がして、調べてみたら、背中心のおしりのところの縫い目プツッと切れていたのです。糸が弱っていたのですね。お天気も今いちだったので、ポリエステルのキモノに着替えたところ、母から電話、買い物に出かけたいので車で迎えに来てくれというのです。それから車を運転して、外出。寒いので羽織を着て出かけました。
お召しが着易いと思っていたのですが、ポリエステルのキモノも、いつもより楽に着られました。襦袢の襟の抜き方と、選り合わせの具合がゆったりしていたために、楽にキモノを着ることができたみたいです。着付け教室でも先生が言っていましたが、いろいろと着ていくなかで、こんなふうに着たら、こんな感じ・・・という感覚がつかめるようになるのだそうです。「キモノよりも、襦袢の着方が重要だ」というアドバイスを、実感できる1日でした(私は、こんなことさえ試行錯誤中の、ほんとうのキモノ初心者なんですよ~!・笑)。